自分にとって和紙とは何か。そして今後の夢。
和紙がどういう存在かといえば、30 歳頃に見つけた一生続けられる仕事。後悔はないし。あと 10 年くらい紙漉きできればいいなって。
好きなものってどんどん知りたくなるじゃないですか。だから、まだまだ和紙のことが好きなんで、いろんな紙を作ってるんです。まだそうやって好きなことをやってる。
夢は、渋谷さんがここに来てくれて、ここで紙漉きをやってくれるっていうのはまず一つの夢だったし。その渋谷さんに続く新しい人が増えて、渋谷さんって結構人にものを教えるのが上手そうだから、若い人が来て、紙漉きの仲間が増えてくれるっていうのが夢です。実際ね、移住してくる人っているんですよ。100 軒のうち 15 軒くらいは移住者。これからもそういう若い人が増えてくれれば、大井沢が和紙の里みたいになって、ここで漉いた和紙を地元のおじいちゃんおばあちゃんが加工してくれてもいいし。夢の夢だけどね。そこまで人が残ってくれたらいいけどね
後継者、渋谷さんとの出会い
渋谷さんは元々西川町の隣にある朝日村(現:鶴岡市)っていうのがあるんですけど、お父さんがそこ出身で、こっち生まれなんですよ。で、私も色々と全国で和紙の大会があって、あちこち顔を出してて、渋谷さんにも出会った。年をとって後継として一緒にやっていける人を探してたんだよね。だから、その時に声かけしたの。そしたら、渋谷さんも山形と全く縁がなかったわけでもなかったので、了承してくれて。最初は、生活が大変なんで、地域おこし協力隊っていう制度があるんで、それで来てもらって。
繋いでいきたいもの
できたら、俺がこだわっている国産楮100パーセントっていうのと、漂白しないってこと。煮ざらしをする。あとはソーダ灰を使うとか。それくらいはずっと月山和紙として、それは譲れないことなんで守っていきたい。
あとは自由に、作りたい和紙作って。私がというよりは、渋谷さんのお客さんが渋谷さんを作っていくと思うから。そうなるように頑張ってもらいたい。俺だって、いろんなお客さんから、こんな和紙を作りたいってくるわけですよ。山形って、私と白鷹町と二軒しかないんで。どっかで月山和紙を作ってるということで調べてくる人がいる。いろんな人があんな紙こんな紙って教えてくれる。だから、渋谷さんは渋谷さんのお客さんに育ててもらってほしい。
取材 和氣明子 (Akiko Wake/FUTURE'S)